個別指導教室

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第9回 その日は代ゼミ新学期の初講日だった。

朝7時30分、まだ授業が始まる1時間半も前だというのに、一人の女の子が代ゼミ本部校の講師室前に立っていた。
「あのう、山本先生ですか?」「うん、そうだけど」
「私は今日から代ゼミで一年間お世話になるんですが、どうしても先生に数学を教わりたくて、北海道から出てきました。数学の勉強のことでご相談がしたくて、7時からお待ちしていましたのですが、今からお話しできますか」
これが彼女との初めての出会いだった。
「先生、私は医学部志望なんですが、数学は小学生のころから苦手で、数学はまったくできないんです。いつも数学の才能がないと教わってきた学校の先生方から言われ続けてきました。それでもどうしても医学部に行きたくて、北海道の塾の先生から、『代ゼミの山本先生なら君の数学を何とかしてくれるかもしれない』と言われて、両親に話して東京に出てきました。先生、私2年間頑張りますから、何とか私の数学の偏差値を58にしていただけませんか。数学が58あれば得意の英語や化学で数学の失点はカバーできます。2年間、本気で頑張ってみますから偏差値33の私の数学を58にしていただけませんか。どうしても医者になりたいのです」

僕のところに勉強の相談に来る人は多いが、初めから2年の期間を考えている人はそんなにはいません。
「君、僕の言う通りに2年間頑張り続けることができるかい?その気持ちがあるのなら○○の参考書を買って、次回持っておいで。そして毎週僕が指示したところを必ずノートに解いてくるんだよ」
そう言って彼女を帰した。ところがその30分後、彼女は指定した参考書を代々木ライブラリーで買って持ってきたのだ。ほとんどの生徒はこんな指示をすると、翌週の朝現れる。
(予備校の授業は高校と違い、どの先生方も基本的には1週間に1日か2日しかその校舎を担当しないので、どうしても次回の授業は1週間後になるのです)30分後に現れた彼女の姿を見て、ああ、この人は2年間頑張れるなと思った。そのやる気を誉めてあげたい気持ちを我慢して、本に印をつけ、来週の今日までにやっておいでと指示した。

この女の子のことは今でもよく覚えている。というのも、これから先、僕は彼女に4回も驚かされることになるからだ。最初の驚きはその日の昼に起こった。
彼女は印のつけられた問題(1週間分なので、かなりあります)をすべてノートに解いて持ってきたのだ。彼女のスピードにも驚かされたが、そのノートの中身にびっくりした。
字は汚いし計算は雑。どう見ても走り書きのメモにしか見えない。おまけに通分もできていないし、高校1年生程度の因数分解もできていない。やる気は伝わるのだけど、とても数学を勉強している感じのノートではない。そこには数学のセンスのかけらも見えないし、
なるほど高校の先生がセンスがないというのもわかる気がする。
「できない問題があるのはしかたがない。でもこれとこれは君の単なる計算ミスだよね。
ここは君が式を丁寧に書かないから間違えているだけだ。ここの因数分解は…のように計算すればいいよね。さあ、次回までにもう一度やり直して持っておいで」
やる気はあえて誉めずにわざと少し厳しく注意して彼女を帰した。

2回目の驚きはその日の夕方だった。
さっき注意したことを6時間ずっと直していたのだろう。彼女なりに丁寧に直して(といっても相変わらず字は汚いのだけど)いくつかの計算は正しくできているがそれでもまだまだ間違っている。正しい計算の仕方や解き方を教えてやり直してくるように指示した。

3回目の驚きはその翌日だった。
その当時僕は本部校で週3日、横浜校で週1日教えていたのだけど、なんと次の日横浜校に朝7時半にノートを持って現れたのだ。しかもそれからというもの毎日、本部校と横浜校で授業のある日はすべて、1回も休まず朝7時半と夜7時半に講師室の前でノートを持って待っていた。

こんなにもやる気のある彼女だったが、1度だけ6月に弱音を吐いたことがある。
「先生、今のままでいいのでしょうか。私はこんなに頑張っているのに、先週の模試の結果はやっぱり33でした。入試までに間に合うでしょうか」
見るとうっすらと涙が浮かんでいる。
本来ならば「大丈夫、信じてついておいで」という場面なのだろうが、山本の口から出てきた言葉は自分でも意外な言葉だった。
「だって君、2年間頑張るという約束だぜ。たった3か月程度で結果が出なければやめてしまうような、その程度のやる気だったのかい。僕のやり方を信じてくれないのなら、もうこなくていいよ」
彼女はハッとした顔でひとこと「…そうですね」と答えて帰っていった。

それから3週間、あれだけ毎日のように講師室の前で待っていた彼女が1度も姿を現さなくなった。厳しく言い過ぎたかな…と悔やんでみたが仕方がない。元気に勉強していることだけを願っていたある日、突然彼女が講師室前に何冊もノートを抱えて姿を見せた。
「先生、ごめんなさい。このあいだ先生に言われて私はやっと気づきました。先生は毎回のように私の悪いところを指摘され、数学の考え方を何度も何度も教えてくださったのに、私は気持ちばかりが焦り、早くやらなくちゃ、もっと進まなきゃ、と先生のアドバイスを一つも守っていませんでした。たった3か月、やっと数Tが3/4片付いただけなのに、数Uも数Vもやっていない状態なのに、先生に教えてもらっているのだから6月の模試で偏差値が50を超えるだろうなんてホントに甘いんですね。先生、このノート見てください。もう一度全部やり直してみました」

彼女が抱えていたノートの山を見ると、なんとどの問題も丁寧に解きなおしてある。しかも女の子らしい丁寧な字で、1問ずつ心を込めて解いているのがひしひしと伝わる。
1度で解けなかった問題は次の日もう1度解きなおしている。3か月の間に注意したことを忘れないように、ノートの端々に赤や青で注意書きがしてある。

それからというもの、彼女の努力は目を見張るものがあった。
悩む素振りのかけらもない。指示したこと、注意したことは必ず守ろうという気持ちがあふれていた。しだいに1度注意したことは2度と間違えなくなってきた。1問1問を解く中に、彼女の数学に対する思いがにじみでるようなノートだった。

それからというもの、彼女には模試を受けさせなかった。彼女は焦ることなく、黙々と出された課題を解いてくる。11月の下旬に彼女に模試を受けるように言った。あれから5か月、そろそろ模試を受けても結果が表れてくると思ったのだ。そしてその模試の結果を持って彼女が講師室に飛び込んできた。
「先生、私偏差値52になりました。生まれて初めて偏差値が50を超えました。ありがとうございます」
大粒の涙をぽろぽろ流しながら嬉しそうにする彼女を見て、つらかったのだろうなあと改めて感じさせられた。
「もう大丈夫だ。これから先はずっと偏差値が50前後は取れる。受験のための基礎は固まってきた。今度は偏差値60を目指そう」
彼女が嬉しそうに返事をした。

それからまた3か月。
彼女はひたすら山本の出した課題を解いていた。
「先生、今年の受験はどうしたらいいですか。2年間は親に予備校生活を許してもらっているので、今年は受験しなくても構いません」
「来年のために、受験してごらん。入試を経験するのも大切なことだ。
学校の雰囲気をしっかりと見ておいで」
そう言って北海道に送りだした。
そして…なんと彼女は1年で第一志望に医学部に合格してきた。

受験したときおそらく彼女の数学の偏差値は56程度だったろうと思うのです。まだまだ医学部に合格するレベルには届いていなかった。運よく、それまでに勉強した内容の問題がいくつか出て、それを彼女がしっかりと解いて数学の失点を最小限にとどめ、得意な英語や化学でそれを補ったのが合格の原因だと思います。仮に不合格だったにしても、
もう1年あれば間違いなく彼女の数学の偏差値は65ぐらいになったはずです。

数学の才能がないと悩んでいる人は多いですが、大学受験の数学に才能はいりません。
皆さんの努力次第で誰でも偏差値65には届くものです。彼女に6月の出来事がなければ、
彼女は何年も浪人生活を送ったかもしれません。人は本当に覚悟を決めて努力すれば、
大学受験程度なら絶対に夢を叶えることができます。そして、そんな受験生は全国に何人もいます。

第8回 今どんな本を書いているんですか

というご質問を山本が普段通っているテニススクールの全然知らない女性からいただきました。⇒こらこら、いきなりタイトルに続けて文章を書くのは、山本の悪いくせだぞっ。山本さんはスクールでは黙々と練習するタイプなので、他のクラスの方とはほとんどお話しすることもなく(おいおい、同じクラスの人ともあまり会話しないだろう⇒ぎくっ)、全く知らない方だったのでこの質問はほんとにびっくりでした。そういえば、以前ブログを書き始めたころ、「こんなブログいったい誰が読んでるんだろうな」とブログに書いところ、次の日、まだ山本があるテニスクラブに入会して2週間も経っていないころ、クラブの会員さんから「誰が読んでるかって?私よ」と、クラブでトップ3に入る実力の女性からいきなり話しかけられたときは一瞬目が点になったな⇒思うに男性は会話をする時に前置きから入る方が多いのですが、女性って本題から突入するのが得意なんだろうか。そういえば(おいおい、5行前でもそういえばって言ってるぞ)ある団体戦で有明に試合に行ったときも、その団体戦のメンバーだった全く話したこともない女性からいきなり、「私、ミックスのペアを探してるんだけど、誰かいい人いませんか」と本題を切り出されたことがあったな。そうですよね、柴山さんっ!(^^)!
  でもって、そうそう、冒頭の質問のお話でした。
 この質問をされた方は,山本が昨年八月に書いた「高校生が感動した微分積分の授業」(PHP新書)という,高校生や社会人向けの新書をなぜかご覧になっていて,次の本は何だろうと気になったのだそうです。実はこの本は山本が初めて社会人の方も意識して書いた初めての出版物で,この文章を書いている2/4の時点(出版してから6か月後)でもAmazonの取り扱いでは,微積分で5位,PHP新書の全カテゴリーの中でも21位という感じで皆さんから評価していただいていて,著者としてはめちゃめちゃ嬉しい結果でした。
  この本の特徴は新書でしかも社会人も対象にしていながら,微分積分の導入から始めて,微積の計算もがっちりと記述し,本気で読んでくださらないと後半の2/3は一般の人には難しいだろうなあという代物です。山本としては仕事のベースが高校生・高卒生の数学授業なので,高校生の微積分に対する啓蒙書になればいいなあというのが根底にあったのですが,その背景には,多くの高校生や大人からも「なぜ微分積分なんて高校で勉強するの?」という質問にほんの少しヒントを与えたいなあという気持ちが大きく含まれていました。なので,それならば,社会人でまったく微積分をやったことがない人で,それでもこれから微積を必要とする人に,大人向けの微分積分の導入教科書っぽいものにしようかと思ったのです。大人の方がいざ微積分を勉強しようとしても,高校や大学の教科書では難しすぎるし,かといって,読みやすいようにマンガで説明した本では,導入にはなっても大学の教科書には繋がらない・・それならば,新書ではあっても社会人の方でもなんとか本気になればついてこられる参考書を書いてみるか・・という感じで書いた書物でした。タイトルの「高校生が感動した・・」というのは読んでくださる方の受け取り方によっていろいろなニュアンスがあると思いますが,この本の狙いは「微分や積分が社会にこのように使われているんだ」と感動してもらうことではなくて,あくまで「微分積分が歴史の中で必要になった過程と,実際に微分や積分の定義を正しく理解しながら,実際に計算を経験してもらう中で,微積分の数学的な役割を感じてもらう」ことが主眼です。もっともそのコンセプトがこんなに高評価の書物として受け入れていただけるというのは全く予想外のことで,とても嬉しいことでした。
  というわけで,PHP新書の担当者からは第2弾のお話をいただいていて,今度は高校生が最も苦手な単元の一つで,しかも文系出身の社会人の方,特に営業や商品開発の部門に携わる方たちにとっては一番身近で必要性を痛感しておられる内容を書いてみようと思います。なので今回は微分積分を必要とする社会人やもう一度微積分を勉強しなおしてみようという方たちのためではなく,高校生,受験生,普通のサラリーマンの方,そしてちょっと一般常識を増やしたいと考えているお父さんやお母さんを目の前にして講義しているような内容がテーマです。
 ; それは何かって・・今年の夏まで楽しみにお待ちくださいね♥

第7回 山本先生の趣味はテニスです。

山本が本格的にテニスを始めたのは40歳の頃。それ以前も高校や大学の授業ですこしはかじったことがあったのですが,女の子が生まれて「将来一緒に楽しめる趣味があればいいなあ」と思って,テニスとスキーを始めたのです。スクールの入門クラスからスタートし,初級→初中級→中級→中上級→上級とレベルアップするにつれ,中級ぐらいのレベルになったとき,それまでずっと教わってきた中山コーチから「そろそろいろいろな試合に出てみてごらん」と言われたのです。中山コーチには初級の時からレッスンを受けていて,山本に基本を徹底的に教えてくれた名コーチでした。とりあえず言われた通り市民大会の男子ダブルスと男子シングルスにエントリーしますが,男子シングルスは戦い方もわからずあっという間に1回戦負け。男子ダブルスは同じスクールの上級の人が組んでくれましたが,こちらも何もできないまま情けない状態での1回戦負け。それでも数年はくじけずに毎年エントリーしてみました。自分が上級クラスのレベルになってからはそろそろ勝てるかも・・と思ってはいるのですが,結果は毎年のように1回戦負け。かろうじて初戦に勝っても2回戦は完膚なきまでに叩きのめされる惨めな戦いばかりでした。
 いくらスクールで熱心に練習し,スクールの中で強くなっていっても対外試合では全く歯が立たない。これは山本にとってはまるで深い森の中で道に迷っていることだったのです。そのとき同じスクールにいて一番上手だったのが,山本よりも20歳ぐらい若い深渡(しんど)君というスクール生でした。彼は高校の時は和歌山県代表としてインターハイにも出たことがある経験と実力を兼ね備えたスクール生で,山本は思い切って彼に男子ダブルスのパートナーをお願いしたのです。深渡さんからすればあまりにもレベルの違う人からの申し出だったと思うのですが,彼は山本の,「試合に出ても2回戦以上に行けない自分が何が悪いのかわからない。何とか2回戦以上の世界を見せてくれませんか」という言葉が響いたのだそうです。快く国分寺市の市民大会(山本は国分寺市民ではないのですが,当時は国分寺市の団体に登録していれば参加できたのです)の男子ダブルスA(一般のハイレベルなカテゴリーです)に参加してくれました。
 大会が始まり,山本は初めて深渡さんと男子ダブルスに。1回戦を勝ち,2回戦を勝ち上がり,山本が望んだ初めての2回戦以上の世界。深渡さんが素晴らしいプレーで相手を圧倒し,今まで見たことがなかった3回戦を制し,準々決勝へ。準々決勝の相手は前回の準優勝ペアですが,深渡さんがここから山本に何度も何度も繰り返す言葉があったのです。それは「強気で立ち向かうこと。今までの自分のすべてを出し尽くして悔いのない1球を打つこと」です。インターハイ経験者の深渡さんでもここからの試合中には,自分をそして山本を奮い立たせるように「強気で行くよ」と何度も声をかけてくれます。それに引っ張られるように山本も自分の出来る範囲で精一杯の戦いをしています。そしてこの苦しい戦いを勝ち上がっていよいよ準決勝へ。
 山本は準々決勝の試合で自分に欠けていることの一つがほんのわずかですが見えてきた気がしました。それは自分に対する自信です。今テニスの世界では錦織圭くんが素晴らしい活躍をしていますよね。それまで世界ランク20位ぐらいで伸び悩んでいた錦織くんをあっという間に世界5位まで伸ばしたマイケルチャンコーチの手腕も素晴らしいですが,コーチが常に錦織君にかけた言葉がやはり「自分を信じること」だったのだそうです。
 むかえた準決勝。相手は20代後半の若者ペア。さすがに5試合目は日没になり場所をナイター設備のあるテニススクールに移動して,多くの人たちが観戦する中,いよいよ準決勝。1日に5試合もしたことがない50代の山本を,深渡さんが巧みにリードして,若者たちの中で山本が対等に戦える状況を作ってくれます。準々決勝で初めて芽生えたわずかな自信を頼りに,疲れ切っているはずの体もどんどん動いていき,その日一番の山本を引き出してくれた深渡さんはなんと,山本を決勝の舞台に連れて行ってくれたのです。結果は準優勝でしたが,この戦いが今の山本のテニスの出発点でした。あれから深渡さんと話すたびに,「山本さんは上のレベルを経験することで目標を見つけ,相手の力を知り,心の戦い方に気付いたよね」と誉めてくれます。実際彼と組んだ試合以降,市民大会や草トーナメントなどでどんどん結果が伴ってくるようになったのでした。

 山本にとっては中山コーチの教えと深渡さんの見せてくれた戦い方が原点です。スクールでレッスンを受ける姿勢,練習の取り組み方,市民大会や都主催の大会などで戦う時のゲームの組み立て方など,さまざまな場面でスクールで教わったことが生きています。試合で負ければそれがまたスクールで新たに教えてもらわなければならない課題になるので,山本はスクールでレッスンを受けるのがとても好きです。上級クラスで自分よりうまい人と練習するのも楽しいのですが,振替で中級や中上級クラスに入ってレッスンを受けるのもとても良い勉強になります。中級の人たちをよく見ながら自分なりに考え,その人にコーチがアドバイスする様子を聞くことでまた新たな自分の課題が見つかってくるからです。中山コーチはそういったレッスンの受け方も教えてくれたのでした。
 実はこれは数学の受験勉強や学校の勉強においてもとても重要なことで,自分が信頼できる先生を1人見つけることができれば,数学の成績はどんどん上がっていくものです。皆さんの中には数学が小学生のころから苦手で・・という人もいらっしゃると思うのですが,小学校や中学校で苦手であっても,高校の数学になると突然成績が上がっていく人が何人かはいるものです。一般的には中学校で数学が苦手であれば高校の数学なんて大嫌いだ・・ということになるものですが,実のところ高校の数学は中学の1次方程式,2次方程式,因数分解程度のことが理解できていれば,いくらでも得意にしてあげる事ができます。それは1人1人の数学に対する考え方を理解してあげたうえで,適切なアドバイスをしてあげることに尽きるのです。同じ問題であっても人によって解説の仕方を変えてあげれば,誰だって学校の定期試験では見違えるように高得点を取れるようになるんですよ♥
 だから山本が中山コーチを信頼したように,皆さんは山本を信頼してください。数学なんてあっという間にいくらでも得意になれますから。  深渡さんが教えてくれた「自分を信じる心」「強い心」はこれから1年間受験勉強をしていく受験生にはとても大切です。こんな勉強でいいのだろうかとか,あの先生のほうが効率的な気がする・・とか,1年間勉強をしているとさまざまな悩みや誘惑が皆さんを惑わせます。実は受験勉強で一番難しいのは,自分が信じたことを1年間やり抜く心なんです。困ったときは山本が自分よりはるか上の世界を知っている深渡さんに頼ったように,自分が信頼できる先生や先輩の言葉を信じることです。受験勉強は決して1つのやり方だけが正しいのではありません。山本は深渡さんを信頼し彼の勝ち方を目の当たりにして,自分に欠けていることのヒントをもらいました。山本がいくら深渡さんの真似をしても彼のテニスができるわけはありませんよね。大切なことはヒントを自分のものにする努力なんです。

第6回 今回は中島みゆきさんのエッセイ風味で…

スカイパーフェクTV(今のスカパーの前身です)で配信される授業は、代々木ゼミナールの隣にある専用のビルで収録。とても立派な建物で、中にある放送機材はすべて東京のテレビ局にある物と同レベルの立派なものなんだとか・・。うーん、さすがは代ゼミと感動っっ
9時からの収録の時は、スタジオ入りは30分前。今日は何の授業で、あれを説明してこれを解説して・・と、チーフディレクターの高岡くんと念入りな打合せ。(おおーい、そこのかっこいいお兄さん、そんなに念入りに打ち合わせしても、テレビカメラなんて初めての山本先生には無理ってもんだぜい・・・)
スタジオの中は空調が完璧で、なかなか快適。と思っていたのもつかの間、いざ収録となると、エアコンの音が録音に入らないようにするため、シューカラカラなんていう機械の笑い声と共に空調が切られる。このぉぉぉ、30秒前の山本先生の緊張しきった様子を機械にまで笑われて・・・、と思う間もなく、フロアーディレクターのかわいい女の子ポチ(彼女のあだ名は山本が大好きな中島みゆきさんが昔やっていた深夜放送で登場していた人物と同じにしてしまったのであった)の「15秒前」という声。
部屋の温度が照明の熱でどんどん上がる。ついでにこちらの心臓もどっくんどっくん。
「10秒前」うーん、深呼吸深呼吸、落ち着けおちつけ。
「5秒前、4、3、・・」(ポチぃ、まだ心の準備ってものが・・)

前半45分の収録が終わって、隣のブースからカメラさんの「はーい、OKでーす」と言う可愛い声。ちなみにこの日のカメラさんは女の子。これって山本が緊張しないようにっていうチーフ高岡くんの苦肉の策なんだろうか。でもせっかくの策もこちらからは隣のブースの様子は見えないんだよね〜高岡くん!
2秒もしないうちに空調がいれられ、スタジオの温度が一気に下がる。ブースから顔の見えないカメラさんのかわいい呼びかけ。「はーい」とか答えたらうけちゃうんだろうなあ。でもこの年になるとそんな大胆な返事は恥ずかしくってできないんだよね〜。でも今年はやってみようかな。「せんせーい」「はあーい」

授業しているときだってうまく説明が出来た時や、みんながわかって嬉しそうにしているときなんか、気分はもう「イエーイ!」みたいなもんで、両手をあげてVサインの4つや5つも出したい気分なんだけどさ、やっぱり出来ないんだよね、これが。
そういえば地方校に授業で行ったとき、「あっ山本先生だっ」ってみんなが集まってくれた時もおとなしく返事してしまった。
やっぱり中島みゆきさんのエッセイに昔書いてあったように、山本も根が暗いんだろうか。ポチの言う通り、鏡見て練習しないとだめなような気もするな。「せんせーい」「イェーーイ!」

サテラインの授業をやっているとあちらこちらの人から手紙やメールが届く。早く返事を書かなくちゃと思っていても、手紙の方がどんどんたまって、返事を書いても書いても一向に減らない。中には1週間に1回ぐらいの割合で手紙をくれる常連さんみたいな人もいるし、返事が書けないほど深刻な相談をしてくる人もある。
「大学をでてどうしても医学部に行きたくて、代ゼミで勉強しています。周りの生徒さんとは一回りぐらい違うので、男の子たちが姉さんてからかうんですよ」
「もう4年も浪人しています。なのにぜんぜん成績が上がりません。友達もしだいにいなくなって、なんかつらいです」

そういえば1983年の映画で『フラッシュダンス』という青春映画があった。昼は製鉄工場の溶接工、夜はステージバーのショーダンサーとして働く主人公アレックス。彼女の持っている夢は、いつかプロのダンサーになって有名になること。
両親もなく、一人で自立してはいるものの不安だらけの毎日の中で、彼女の心はいつもダンスでいっぱいだった。唯一彼女が心を開いている老女に勧められて、ダンスのオーディションに申込みに行ったものの、他の申込者たちの経歴の高さや、自分とは違う上流階級の雰囲気に圧倒されて、すっかり自信をなくしてしまう。オーディションの日、上品で洗練されたダンスが続く中、いよいよ彼女のダンスが始まる。周りの雰囲気に圧倒されながら、それでも私大に自分らしさを取り戻した彼女が見せたのは、他の誰にもまねできないショーダンサーらしい生き生きとして体中から情熱のほとばしるダンスだった・・
最後のシーンで彼女のダンスを見たとき、胸が熱くなった。他の人の上品なダンスをまねたってそれは自分じゃない。自分が踊りたいダンス、それを見てもらおう、と彼女が開き直った時、彼女の踊りの中には彼女自身がいた。

誰だって一生懸命生きている。自分を認めてもらいたいと思っている。でも、他の人から見たら自分はどう見えるのだろうとか、どうすれば自分が人から認められるだろうとか考えているうちは、多分だけからも認められないだろうな。
入試までの1年、誰も助けてはくれない。誰のためでもない、入試は君のためのものです。だからこそ、他人の事など気にせずに、きみの力で本気でぶつかってほしいのです。アレックスのように自分の全てを出し尽くす勇気を持ってください。いままで君もあなたもそんな経験をしたことがなかったはずです。大切な事は「君が自分の力を信じて、その瞬間をひたむきに生き、真剣に勉強する事ができるか」だけです。僕はそんな生き方が好きだし、授業でもその瞬間に全てを君たちにぶつけていたいと思っています。

第5回 心に診る心

「Dr.コトー診療所」というドラマがあったのですが、皆さんはご覧になったことがあるでしょうか。原作は「週刊ヤングサンデー」という雑誌に連載された漫画で、主人公は五島健助という外科の世界ではトップクラスの実力をもった外科医です。主人公を演じるのは吉岡秀隆さん、ドクターコトーを支え慕う女性看護師星野彩佳に柴咲コウさんというキャスティングで、医療をテーマとしたドラマでは「医龍」やつい最近放送された「ドクターX〜外科医・大門未知子」もとても面白かったのですが、この「Dr.コトー診療所」は予備校の講師をしている山本にとって考えさせられる作品だったのです。

山本のブログを見てくださっている皆さんなら、山本先生のお気に入りの柴咲コウさんがでているからでしょうとか、主題歌を歌っているのが中島みゆきさんだからでしょうという鋭い観察もありますね。でもちょっと違うんですよっ!

物語は、彼が勤める東京の大学病院で起こったある事件をきっかけに、彼がその病院を辞め、沖縄本島からさらに500qも離れた日本の最西端、沖縄県与那国島(物語では架空の島、志木那島)にやって来ることから始まります。
船旅で船酔いはするし、見るからに頼りない青年医師を、島の人間は初めだれも信用しようとしません。今までに何人もの医師をこの離れ小島に連れてきても、やってくるのはいい加減な医者ばかりで、その多くは内科医であったため、島でけがをしても簡単な手術さえできない状態だったのです。病気になったら6時間かけて本土の病院に向かい、そこで診察してもらうのが島の人間にとっては常識になっていたのですね。
そんな医師不信の島民に信頼をしてもらうため、彼は自転車で島の一人一人に押しかけ往診を始めます。島民からの冷たい視線にもくじけずに、ひたすら島の人たちに接する主人公の温かい熱意に、少しずつ島民からの信頼を得ていくストーリーに、胸を熱くして夢中で見ていた人も多かったはずです。

あるとき60歳ぐらいの女性が診療所に担ぎ込まれる。たまたま島を訪れていたアメリカの大学出の若い女性医師が、『担ぎ込まれた女性の足は切除しないと助からない。少なくともアメリカでは患者と医師双方に最もリスクの少ない選択肢(患者にとっては命が助かることであり、医師にとってはわざわざ難しい手術をしてリスクを冒す必要はない選択)を選ぶべきだ」と主張した時に、主人公は、「自分たちは病気を診るのではない。人を診るのだ。この女性が厳しい丘の多いこの島で生きていくためには、足を奪われることは死ぬことと同じなんだ。彼女のためには医師としてのリスクを負わなければならないこともある」と言って、若い医師に自分の理想像である医師像を垣間見せる。

山本はこのシーンがとても印象に残っています。東京の大学病院で次から次にやってくる患者を、名前も覚える間もなくどんどん処置していく毎日から、何回の離れ小島でわずかばかりの、けれども名前と顔が一致する心の通った治療に魅力を感じていく主人公の生き方がとても心に響いたのです。

代ゼミの大教室やサテライン(通信衛星授業)で受験生に接している山本は、主人公が大学病院で次々と機械的に患者を診ていく様子に似ているかもしれません。教えている皆さん全員の名前と顔を覚えることは不可能に近い気がします。(誤解しないように・・決してそれが悪いと言っているのではありません。大学病院も大手の予備校も必要不可欠のものですから)

でもこのドラマを見てからの山本は、少なくとも質問や相談に来た人、サテラインなどで手紙をくれた人だけでも、主人公が心の通った治療をしたように、山本も皆さんに接しようとしています。手紙の枚数が多いので返事を書いてあげられない人も多いのだけれど、今年こそ、来年こそは話しに来た人や手紙をくれた人全員に、心と心の触れ合いができるようにしたいと思っています。だからみなさんも話しに来た時や手紙をくれるときは、心を開いて正直な自分を山本に見せてください。
山本は塾で皆さんに接するときは厳しいこともしっかりと伝えます。勉強を怠けている人や心の弱いと感じた人には、みなさんの弱点をはっきりとお話しします.それがお互いに心を開くきっかけになると思うからです。いつも叱られていた人があるとき初めて誉められて涙を流したことがありました。そんな心の通った授業が山本は好きです。

主人公五島健助が言ったように、山本も「ただ機械的に数学を教えるのではない。きみたち一人一人に合った考え方を教えるんだ」という気持ちを持ち続けることにします。山本の今の気持ちが素直にそしてストレートにキミやあなたの心に伝わってほしいと思います。

第4回 心に残る生徒(2)

代ゼミや塾で仕事をしていると、心に残る生徒が毎年何人かはいるものです。新年度を迎える今の時期、いつも思い出すのは、15年ぐらい前に教えたUさんという女の子・・4月の最初に黒いスーツ姿で塾にやってきて、いままで予備校の医学部クラスに通っていたけれど、数学がついて行けない・・何とか助けてくださいと真剣な表情で話す彼女の熱心さは、心から受かりたいという気持ちがあふれたものでした。その熱心さに打たれて、次の日から、毎日3時間、数学を基礎から徹底的に教えたことがあります。

後で知ったのですが、実は彼女はこのときにすでに3浪していて、ほんとうにもう、あとがなかったのです。いざ教えてみると、医学部志望なのに数学は高校1年生程度・・あるミッション系の女子高に通っていた彼女はほんとうに純粋でまじめででしたが、数学に限らずどの教科もとても医学部受験には程遠い・・・勉強の仕方、復習の仕方、参考書の読み方、授業の聴き方・・など、最初のうちはそんな話もしながら、少しずつ数学を始めたのでした。もちろん実力的には偏差値30程度・・医学部なんてとんでもない・・はずだったんですっ

みなさんに伝えたいのはここからです。彼女と一緒にひとつひとつ教科書程度からスタートして、なんと1学期が終わる頃には偏差値が50、2学期のはじめには偏差値が60を超え、毎回の模試でどんどん結果を出してくるんです。

山本は今まで教えてきた生徒の中で、彼女ほど努力した女の子を見たことがありません。山本から言われたことをひたすら守り、そのための努力を惜しまず、叱られて泣いた次の日も明るい笑顔で塾に来て、昨日叱られたことをしっかりと直してくるのです。確立していなかった勉強法も少しずつ見つけていき、数学が伸びた自信をもとに、英語も化学も生物も・・数学以上に頑張っていたものです。山本が授業中にみんなに話すことを、いつも自分へのメッセージだと真剣に受け止め、悔し涙を流しながら授業を受けていた姿や、僕が初めて彼女を誉めたときに、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、嬉しそうにしていた姿を15年経っても昨日のように思い出すことができます。

このエッセイをごらんになった皆さんっ僕は授業中、皆さんを自分の子供だと思って接するようにしています。だから叱られることも誉められることもたくさんあるでしょう。どうか、彼女のようにそれを自分に向けられた言葉だと思って、僕と心を通わしてください。叱られるのはそれだけ伸びる素質があるからです。それを直せばもっともっと自分を上のレベルに持っていけます。

今こんなことを書きながら、同じように医学部を目指し見事に合格していった千恵さん、絵里香さん、慶之介君や、東大や早慶に合格していった里奈さん、ゆかりさん、博昭君、菜々さん・・心に残っている人たちはみんな彼女と同じように叱られながら誉められながら頑張っていたことを思い出しました。山本からたくさん叱られて、いつか山本からほめられたときのうれし涙を味わってください。Uさんよりも努力する素晴らしい皆さんを見せてくださいっ

第3回 初めての家庭教師は我慢・我慢・我慢…

大学一年の四月、僕は彼女の家に家庭教師に行った。彼女のお母さんに案内してもらって入った彼女の部屋は、とても女の子らしく片付いていて、部屋の隅に置かれた机に向かって、小柄でショートカットがとてもよく似合う、色白で可愛い彼女が少女漫画を読んでいた。

家庭教師の先生が来たというのに、彼女は僕にはいっさい目もくれない。ひたすら少女漫画を読んでいる彼女に挨拶して、さあ勉強しようか・・・と声をかけると、大きな溜息といっしょにゆっくりと漫画を閉じる。ほんとうに映画のスローモーションを見るように、ゆっくりと漫画をしまい、ゆっくりと中3の数学の教科書を取りだす・・・一つ一つの動作に溜息をつきながら、教科書、ノート、鉛筆、下敷き・・・一通りそろうのに5分はかかっただろうか。どう解釈しても、家庭教師への彼女の必死の抵抗しかあり得ない・・・。

中3の数学の教科書は真新しく、彼女が学校で教科書を開いた形跡は全くない。まずは展開公式から・・・と計算の仕方を説明しても、彼女の眼は僕の書いている式を追ってはいない。例題を説明しても、何を話しても全く返事がない・・・。教科書に載っている例題を説明し終わり、「さあ、練習問題をやってごらん。」といっても、彼女は最後まで目を宙に飛ばしたまま・・・。そんな最悪の2時間が過ぎて行った・・・。

正直言って、この2時間は参った。何を話してもずっと無視されたまま、何の反応もしてくれない。2時間の家庭教師が終わって、彼女に、「2時間、よくがんばったね、じゃあまた来週っ。」と言って部屋を出てから、家の玄関に向かう途中、お母さんにどう切り出して、「4月の一か月だけでやめさせてください。」と言おうか、そんなことに悩んでいた。『まあいいか・・・とりあえず来週か再来週にでも切り出そう』と妙に割り切って、玄関でお母さんに「じゃあまた来ます。」といった瞬間、お母さんが「ええっ、来週も来て下さるんですか?」「はい,そのつもりですけど・・・。」

次の週,彼女の家に行くと、何と入口にお父さんとお母さんが立っている。「先生、ほんとうに来てくださったんですね。」「はい・・・。」「ありがとうございます。実は今年に入って娘の家庭教師は先生で8人目なんです。2週目も来てくださった先生は久しぶりです。」「はあ・・・。」「いつも先生方を怒らせてしまって・・・。」先週もたぶん先生とは全く口をきかなかったと思いますが、実は私たちももう2年、娘の声を聞いていません。すっかり自分の殻に閉じこもってしまって、学校にもたまにしか行かない状態です。このままでは卒業できるかどうかも心配で・・・先生、何とか我慢していただいて、しばらく娘の勉強をみてやっていただけないでしょうか。」そうだったのか・・・。ぼくは妙に覚悟を決めてしまった。「わかりました。がんばってみます。」

その日から、僕と彼女の不思議な勉強が続いた。2時間のあいだ、ずっと説明ばかりしている僕と、その間ずっとうつむいて全く反応をしない彼女・・・。ひたすら彼女に話しかけ、ちょっとは反応してくれないかと淡い期待を抱きながらも、まるで人形のように無表情に一点だけを見つめて何も答えてくれない日が続いた。

三か月が経ち、あっという間に夏休みに入った。いつしか彼女を教えた多く家庭教師の中でも最も長く続いた?という妙な記録を作って、こうなったら彼女が反応するまで我慢比べだと決意を新たにしていたのだった。お母さんからの希望で夏休みは週5回彼女の家に行くことになった最初の日の7月24日、僕は一生この日の出来事を忘れないと思う。

いつものように2時間の不毛な勉強を終えて、寂しい気持ちを抑えながら、「じゃあ、また明日来るからね。」といって彼女の部屋を出ようとした瞬間だった。本当に、ほんとうに、ホントウに、蚊の鳴くような声ってこのことなんだろうな。彼女が絞り出すような小さな声で、「先生・・・」と話しかけてくれた。わかってもらえるだろうか。このときの僕の嬉しさと何とも言えない感動を・・・。僕は思わず彼女のそばに駆け寄っていた。「どうした?気分でも悪いかい?何か嫌なことを言ったかい?」聞こえないほど小さい声が返ってくる。「違うの・・・。わからないの・・・。」「どれが?じゃあもう一回やろう。」「違うの・・・。これがわからない。」「どれ?」「これ。この分数の1/3と横に書くときの線、なんて言うの?どうしてこう書くの?」「えええっ、この線かあ・・・。ちょっと待って。わかった。明日までに調べてくるよ。知らないから。」←この質問には本当にあわてた。分数の時に1と3のあいだに入れる線の名前なんか考えたこともない・・・。

僕はその日、これを調べまくった。大学の図書館に行き、区立図書館を回り、高校や中学の先生に電話し、紀伊国屋書店や神田の三省堂書店にも行った。けれどもどうにもわからない。(それはそうだろうな・・・。分数の数字のあいだに入れる線の名前なんて・・・。)次の日、いつものように彼女の家に向かう道を歩きながら、気分は重くふさぎこんでいた。あんなに小さな声で初めて質問してくれたのに・・・と思うと、足はどんどん遅くなる。彼女の部屋に入り、その日の教える単元を説明しながらも、彼女の雰囲気が冷たいのがわかる。逃げるように彼女の家を後にする自分が情けなかった。新宿に出てまた調べていたとき、区立図書館のある一冊にその答えがあった。大急ぎでコピーを取ってもらい、彼女の家に向かった。「あったよ。あった。ほらっ。」

彼女の顔が一変した。初めて僕と目を合わせてくれた。彼女が小さな声で一気に質問を投げかけてきた。「先生、4月の一回目で教えてくれたここがわからない」「先生、ここの因数分解をもう一回説明して」「この計算はどうやるの」・・・・・・彼女は三ヶ月間僕がしゃべったことを一生懸命聞いてくれていたのだった。本当に嬉しかった。それから2年間、彼女は僕とだけ会話をしてくれるようになった。

もし僕が家庭教師一日目に、他の家庭教師のように彼女の態度に腹を立て、さっさと辞めていたらこんな経験をすることはなかったに違いない。僕は彼女から教えることの難しさと辛抱することの大切さを気付かせてもらった。彼女はいまなんと高校で数学の先生をしている。それを知ったときもほんとうに嬉しかった。

そうそう、ついでですが,この分数を書くときに入れる線、何と言うか知ってますか?正解を知ると笑っちゃいますよ・・・きっと・・・。

第2回 アルキメデスと東大入試

ギリシア時代に燦然と輝くアルキメデスが生きた時代は、ローマとカルタゴが激しく地中海争奪を繰り広げていた時でした。この争いの元になったのは、シラクサとメッサナという都市国家同士の小さな争いで、このときのシラクサの王がヒエロン二世。といってもわかりませんね。ほらっ、王冠に使われていた金が純金かどうかという品質評価の難問をアルキメデスが出されて、自分が風呂に入ったとき湯があふれる様子からその難問を解決した有名な話がありましたよね。その難問を提供したのがこの王様です。このときの戦いが第一次ポエニ戦争で、それから20数年後に名将ハンニバルに率いられたカルタゴ軍がローマ軍を撃破して始まるのが第二次ポエニ戦争。このときシラクサはカルタゴ軍についているのですが、ローマ軍は猛然と反撃してきます。ローマの猛将マルケルスはシラクサを3年にわたって包囲し、何度となく怒涛の攻撃を仕掛けるのですが、シラクサ市民の士気はいっこうに衰えない。なぜかって? だってきみ、シラクサには当時の大天才アルキメデスがいるんですよ。シラクサ港を取り巻く60数隻のローマの戦艦を、てこと滑車を組み合わせた巨大クレーンを用いて港の外に排除はするし、太陽光を用いた鏡の兵器で敵軍艦に火をつけてしまうし・・・

さすがの闘将マルケルスもこれにはなすすべがなく、「この幾何学の天才とは勝負できない」と持久戦に持ち込んだのです。これに対してアルキメデスは3年の間ローマ軍を一切町に近寄らせません。けれどもBC212年のある日、シラクサ市民が祭りで一瞬気を抜いた瞬間に、ローマ軍が奇襲をしかけます。このとき闘将マルケルスは全軍の兵士に「アルキメデスに乱暴をはたらくな。彼はローマの賓客である」という指示を出しています。しかしながらこの指示はローマ軍全員には徹底しなかったのです。シラクサの町を占領し、ローマ軍がシラクサ市民を拘束しているさなか、砂の上に幾何学の図形を描いてじっと考え込んでいる一人の老人にも兵士の手が伸びます。老人は「その円を踏むな」と叫ぶのですが、その言葉を理解しなかったローマ兵は、かっとなって老人を刺殺してしまうのです。それが当時75歳のアルキメデスなのでした・・・

天才アルキメデスは円や球にとても関心を示していました。円周率を最初に求めたのもアルキメデスと言われています。そして・・2003年の東大入試数学の問題を開いた受験生は我が目を疑います。「円周率が3.05より大きいことを証明せよ」アルキメデスの発想が2000年以上の時を超えて、現代に問われた一瞬でした。

第1回 心に残る生徒

春になるといつも思い出す生徒がいます。数年前の春、28歳の女性がご主人と一緒に塾にやってきました。「彼が医者で、自分も彼の仕事を手伝えるような医者になりたい。3年間頑張りますから数学を教えていただけませんか」と言う彼女。詳しく話を聞いていると、大学は英文科を出て、もう10年、数学は勉強したことがないとのこと。僕は「この6冊の高校数学の参考書を、例題だけでいいですから春休みの間に読んでみてください。」と課題を与えて、彼女に基礎的な参考書を渡したのです。実は僕のところには毎年多くの社会人の人が医学部に行きたいと相談にきます。その中には彼女のように結婚をされていたり、仕事を持っている人も多いのです。しかしながら、家庭や仕事を持って受験勉強をするというのは本当に大変で、高校数学から長い間離れていたり、数IIIなど未習の部分があったりすると、ほとんどの人は途中で挫折するのが普通です。相談にきてこの課題を出されるとたいていの人が「まだ習っていないのに、できるわけがない・・」と感じるはずです。けれども彼女は僕の課題の意味を深く考え、しっかりとやってきたのです。春休みの最終日に彼女が再び塾にやってきました。「大変だったでしょう」「はい、でも先生が無茶なことを言われるはずはないので、私なりに先生の意図を考えてみました。先生はこの6冊の本を全部解けとはおっしゃいませんでした。例題だけでいいから読んで下さいと・・・。たぶん先生は私がこれから3年間勉強する内容を一通り見せたかったのだと思ったのです。それに4月から予備校に通ったときに、授業についていけない自分が何かわからないことに出くわした時、どこを調べればいいか、何がわかればいいのかを知っておきなさいという意味だと思いました。ですからわからなくても気にせず、最後まで読み通してみました。」彼女と僕が瞬時に意志の疎通ができた瞬間でした。彼女は僕を信頼し、僕も彼女のやる気を実感したのです。それから3年間、彼女は僕の指示したことはきちんとこなしてくれました。1年目は未習部分も含めて基礎の話に集中し、2年目からは受験用問題集の基礎レベルを押さえ、3年目には私立医科大の入試問題のうち、標準レベルのものをしっかりと解けるようになっていったのです。多くの受験生にありがちな「焦る気持ち」を押さえ、僕を信じてひたすら努力してくれたのです。そして約束通り、東邦大と東京女子医大にめでたく合格。彼女は2年前に東京女子医大を卒業して、今はそのまま東京女子医大で医師になっています。最後まで僕を信じて努力してくれた彼女を僕は誇りに思い、またこんな生徒と出会うことを楽しみにしています。

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